今年10月のある日,82歳の女性が,左膝窩部の痛みを伴うしこりを主訴に来院されました.10日前から左膝窩部にしこりができて徐々に大きくなり痛くなってきたと言われました.うつ伏せにして膝窩部を診ますと,何やら青白い光沢のある被膜に包まれた2㎝大の腫瘤が膝裏の皮膚から飛び出していました(写真1).これを見た小生は,“これは珍しい!おそらく膝窩部にできていた粉瘤が被膜に包まれたまま飛び出してきたのだろう.”と思いました.
“訳ない,早速,局所麻酔下に完全に取り出そう”と手袋をして準備にかかっていたところに,優秀な看護師が「先生,これよく見て下さい! 足があります! 動いています!」・・・目を凝らしてみると確かに足が8本あり,緩やかではありますがごそっごそっと動いています.粉瘤と思ったのは,なんと,大きく膨れ上がったダニの胴体部で,皮膚から飛び出していたのではなくて,皮膚の中に食いついていたのでした(写真2).
小生が何故このような馬鹿げた診断をつけたのか.粉瘤を切除されたことのある先生方には少しは分かって頂けると思いますが・・・,炎症の全くない粉瘤においては,上手に被膜に達すれば本当にツルッと切除できるからです.でも,よくよく考えてみれば,いくら人体に排他的免疫力があっても,皮下にできた粉瘤を都合のよいように被膜ごと皮下組織から排出する力はないですよね・・・.
気持ち悪いのを堪えながら,浸潤麻酔下に皮膚切開し,皮下に食いついているダニの顎体部を掘り出し摘出しました(写真3).よくもまあ,こんなに吸血して爆発寸前までに膨れ上がったものだ,とびっくりするぐらいはち切れそうな大きな胴体でした.モスキート鉗子で顎体に挟まった皮下脂肪を把持して撮影した,腹側面(写真4),背側面(写真5)も御覧ください.この時の気持ち悪さ,正に“身の毛がよだつ”思いでした.病歴をよくよく聴取すると,症状が出始める前に,野原で身長ぐらいある笹を刈られていたようです.
今年の初めに話題になった,マダニ咬症による感染症,重症熱性血小板減少症(Severe Fever with Thrombocytopenia Syndrome : SFTS)が報道されてから,今まで見たことも来られたこともないマダニ咬症の患者さんがこの症例の他に3例来られました.が,いずれも3mm程度の大きさでした.4月に40歳男性が左側腹部, 5月に7歳男児が右膝窩部, 6月に70歳男性が左大腿屈側に食いつかれて来院され,いずれも浸潤麻酔下に除去しました.まさかマダニがこんなに大きく膨れ上がることがあるとはつゆ知らず,マダニ咬症について調べてみました.
本症例が一番高齢で一寸鈍感すぎるからこんなに大きく育ったのかと思いきや,調べてみると,マダニの唾液物質には麻酔効果があって,マダニに咬まれて吸血されていても痛みをほとんど感じず,また蚊に刺された後のようなアレルギー反応による痒みもあまりないようで,本症例のように気づくのが遅れることも多々あるようです.マダニは山の中の茂みや草むらに住んでいます.植物の葉っぱの先に身を隠して待ちかまえ,それに触れた動物にうまく乗り移ります.
特に“笹ダニ”と呼ばれるぐらい,笹で待ち構えるのが好きなようです.さらにマダニは皮膚の柔らかいところで人間に見つかりにくい部位を好んで吸血するそうです.わきの下,足の付け根, 手首,膝の裏,髪の毛の中などがチェックポイントになっています.本症例も笹薮で乗り移られ,膝の裏でしこたま吸血し続けられていました.
マダニ媒介性の重症熱性血小板減少症(SFTS)はSFTSウイルスを有するマダニに感染することで発症します.ヤギ・ヒツジ・ウシ・イヌ等の動物がSFTSウイルス抗体を高率に保有していますが,動物は感染しても発症せず,動物の血液等を介してSFTSに罹患した患者の報告はないようです.SFTSウイルスに感染すると6日~2週間の潜伏期を経て,発熱,消化器症状(食欲低下,嘔気・嘔吐,下痢,腹痛)が出現し,その他,頭痛,筋肉痛,神経症状,リンパ節腫脹,出血症状などを起こします.検査所見上,血小板減少,白血球減少,血清酵素異常(AST,ALT,LDH)が認められます.致死率は6.3~30%と報告されていますが,今のところ治療は対照的な方法しかなく,有効な薬剤やワクチンはありません.2013年1月に国内の患者が初めて確認され,遺伝子検査法によるSFTSの診断検査体制が整備されました.その結果2013年1月1日以降38人のSFTS患者が報告されています.男女比は8:11で年齢中央値は72.5歳,5月の発症例が多く,西日本の12県で報告されており,同地域にはSFTSウイルスが分布していることが明らかです.岩国医療センター,周東総合病院の症例もこの中に含まれており,柳井にウイルスが潜んでいることは間違いありません.
日本国内には命名されているものだけで47種のマダニが生息しており,調査の結果,フタトゲチマダニ,ヒゲナガマダニ,オオトゲチマダニ,キチマダニ,タカサゴキララマダニ,からSFTSウイルスの遺伝子が検出されています.が,SFTSウイルスを媒介するマダニの種類やその生息地域,SFTSウイルスの保有率,動物との相互関係等,実態は明らかにはなっていません.写真を見ると本症例はタカサゴキララマダニのようではありましたが,幸いウイルスはいなかったようで何も起こりませんでした.
医師会輪番の随筆を依頼されたことを機に,珍症例に悩まされ,マダニの凄さ・気持ち悪さを,身を以って体験したので報告させていただきました.皆様方のお役に少しでも立てていただければ幸甚です.